親代わりである、兄たちの言葉に甘えてばかりの人生! [後悔]
子どもはいつまで経っても子ども・・・
「子どもはいつまで経っても子ども。」この言葉があるように、親からしたら、成人した大人になっても心配事は無くなりません。こんな親心のように10歳以上離れた兄たちは、弟である私のことを同じ様な感覚で見ているようです・・・。
長男の兄とは中学3年生から一緒に住み、親代わりとして私を育ててくれました。次男の兄も一緒には暮らしていませんが、たまに来てはおこずかいをくれたり、私が18歳になったときには、自動車免許の費用と兄の愛車を譲ってくれました。
例え私に親がいなくても、不憫な思いをしない様、親がいる人以上のことをしてくれました。当時は自分に両親がいないことで、不平不満に思っていたこともありましたが、私も成長するにつれて、少しずつ兄たちの偉大さを知り、今では自分の考えの甘さや常識の無さに恥ずかしさしかありません。
蛾に命の大切さを教えられる夏! [後悔]
マイマイ蛾の大量発生!
夏になるとマイマイ蛾が照明やガラスに張り付いて気持ちが悪い。特に昨年、札幌近郊でもマイマイ蛾が大量発生したそうです。
原因はよく分かっていませんが、蛾の大量発生のサイクルは10年に一度のようなので、今年は少し落ち着くみたいです。蛾やゲジゲジは大の苦手で、見ているだけでも鳥肌が立ちます。
しかし、家や職場で見つけてしまったら、男性である私が対処しなければなりません。3年前の夏もマイマイ蛾が大量発生し、同僚から駆除を求められました。
『ちょうど妻が妊娠中期に入った頃です・・・。』
欲しい未来は自分で切り拓き、創るもの! [後悔]
失われた気持ち・・・
私たちが義父と最後に会ったのは、娘の一周忌。
自宅での法要を終え、家族全員での食事。
そのときの義父に特別な変化はなく、食事も残さず食べていた。
兄から勧められたお酒も楽しそうに飲み、この日が義父との最後の晩餐になるとは思いもしなかった・・・。
娘の一周忌をひとつの区切りと考え、少しずつ前向きに頑張ろうとしていた妻だったが、義父の死によって再び自分の殻にこもるのでは?と心配になった。
はっきり聞いたわけではないが、これまでの義父に対しての態度を反省し、少しずつ心の溝を埋めようとしていたように見えた。
その想いは、はかなく散ってしまった・・・。
義父の急死と後悔する妻! [後悔]
義父の急死!
義父が亡くなったのは、娘の一周忌を終えた翌々日。
突然の出来事に誰もが言葉を失っただろう・・・。
私の中で娘の一周忌が終われば、もう少し気持ちが楽になり、もっと前向きに過ごせるのでは?と思うようになっていた。
その矢先の義父の死は、私たち家族にとって大きな衝撃を与えた。
私は同じ失敗を繰り返し後悔した・・・。
優しい義父!
普段は言葉数も少なく控えめな義父だったが、お酒が入ると陽気になる楽しい義父だった・・・。
今でも印象に残っているのは、妻との結婚を承諾してもらう為に挨拶に行ったときである。
「結婚をお許しください!」と言う私に対して、「娘をお願いします!」と義父は涙ながら語っていた。
妻から聞いていた印象とは違い、出会いから亡くなるまでの間、ずっと可愛がってくれたことに感謝の気持ちしかない。
義父の親友たちに、「うちの婿はホントいい男なんだ!」と話していたことを聞かされたときは、すごく嬉しかったのを憶えている。
こんな私にも、「家族が出来たんだ!」と思えた瞬間だった。
そんな優しい義父が大好きだった・・・。
胸騒ぎ?予兆?虫の知らせ?を体験! [後悔]
妙な胸騒ぎ・・・
彼は暇さえあれば私の職場に遊びに来たり、特に用事がなくても電話をかけてくることが多かった・・・。
収入が減ったことで、その回数も以前に比べると少なくなったが、一ヶ月まるまる連絡がこないことはまずなかった。
給料日には必ず姿を現す彼が、連絡ひとつしてこない。
次第に私は、妙な胸騒ぎがするようになる・・・。
気付けなかった自分が悔しい、切ない気持ちでいっぱい! [後悔]
早すぎる死!
彼が亡くなったことを知ったのは、半月くらい経ってからでした。
今でも死因や命日が分かりません。
亡くなる10ヶ月前、長年勤めた会社を自主退職しました。
退職理由は、会社の経営方針と合わなかったためです。
町のお祭り行事の準備や企業との付き合いを一番に考える社長と、顧客を一番に考えている彼とは温度差があったようです。
緊急なトラブルがあれば、どんな時間でもお客様宅へ行っていた彼ですが、ある日、社長にお祭りの準備を優先するように言われたそうです。
お客様は二の次だと・・・。
それが彼には、どうしても理解出来なかったようです。
大切なものはいつだって、失ってから気が付く! [後悔]
友人の死!
娘が亡くなってからも、いつもと変わらない笑顔で私の前に現れる友人。
彼は彼なりの悩みがあったようですが、何があっても変わらないところが彼の良さでもありました。
私はそんな彼のことが心配で「何かチカラになれれば・・・。」と思っていましたが、行動に移す余裕はありませんでした。
それだけ、私は自分のことで精一杯でした。
今となっては、後悔しかありません・・・。
彼との出会いは中学生時代。
彼は「湘南暴走族」に出てくるようなヤンキーでした。
喧嘩っ早く、暴走族を見つけると追ってしまうような彼。
何処に逃げようとも彼から逃れることは出来ません・・・。
靱帯断裂は誤診?セカンドオピニオンの重要性! [後悔]
医師への不信感!
すぐに妻とチームメイトから連絡があった。
「本当なの?」と医師の診察に疑問を抱いていた。
私自身も医師の診察には違和感があった。
骨はレントゲンで確認をしているので信憑性はあったが、靭帯の断裂の件に関しては懐疑心しかなかった・・・。
「触診しない医師を信用するな!」と聞いたことがある。
整形外科なら尚のこと、触診しないで判断できるのだろうか?
ほぼ目視で判断した医師を、信用することはできなかった。
妻 『一生の問題なんだから、違う病院で検査をした方がいいと思う。』という言葉に背中を押され、すぐに違う病院へと向かった!
左足首の靭帯断裂…、全治半年! [後悔]
左足首の靭帯損傷!
先週の日曜日、サッカーのチーム練習がありました。
その時にチームメイトと接触し、左足首を損傷・・・。
チームメイトがバケツに氷水を用意してくれて、その後一時間くらい足を冷やしたので、靭帯の損傷を最小限に抑えることができたのでしょうか?
足首を見た感じでは少し腫れてはいるものの、まだ内出血しているような感じではなかったので、一週間もすれば完治するだろうと思っていました。
しかし・・・
医師のおごりが招いた結末は? [後悔]
もしかしたら、医療ミス?
妻は少し血圧が高く、念のため管理入院していた。
入院中の医師との面談で、治療の経過や分娩方法を話し合う機会があった。
もしも出産予定日を過ぎて陣痛がない場合は、「帝王切開での分娩に切り替えるという内容だった。」
当時を振り返ると、その病院で帝王切開手術を行う場合、毎週水曜日と決められていた。(緊急時を除く!)
つまり、娘の出産予定日である10月26日(水)に帝王切開手術を受けなければ、翌週の11月2日(水)まで待たなければならない。(その間に陣痛がくれば普通分娩!)
正直、私たちは迷った・・・。
当時妻がよく言っていたのは、「赤ちゃんはお母さんのお腹の中に居る時間が長い方が良いらしいよ!」
子どものことを考えたら、出産予定日に帝王切開手術をするよりも、もう少しお腹にいた方が良いような気がしたし、妻の身体の負担も考えると、身体にメスを入れるのは望ましくない。
今思えば私たちの考えは甘く、人命を最優先するべきだったと後悔しているが、当時は陣痛がきて自然な流れでの出産が一番安全だと思っていた。
そこで、私たちは医師に希望を伝えた。
『普通分娩を希望しますが、何かリスクなどありますか?』