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あの日から・・ [別れ]

あの日から8年。
思い返せば、あっという間の8年だった。


当時は、正直浮かれていたところもあったと思う。
幼い頃からの“夢”だったから。





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小学生の時、突然の事故で母を亡くし、父が仕事から帰るまでひとりだった。
何の音もしない家にいるのが嫌で、毎日、夕方まで友人たちと外で遊んだ。
今思えば、寂しさを埋めるためでもあったと思う。


その帰り道、どこかの家からカレーの匂いがした。
「今日はカレーかー」と思いながら、よく自転車をこいだものだ。


しかし、自分が帰る家にはカレーもなければ、家の電気もついていない。
寂しいと感じる前から、自然と涙が溢れていた。
まだ小学生だった私には、自分の力だけではどうすることもできなかった。


だから、その時誓った。
「大人になったら、自分の子どもには同じ思いをさせない!寂しい思いをさせない!」と・・


まだ小学生なのにね。
改めて、そう思わせる親に対して「ないわー」と思う。


当時は、もちろん働けないからお金も稼げないし、まだ小さかったから「火を使うな!」と言われていたから自炊もできないし、親や周りの大人に依存するしかなかった。


自分のチカラで未来は変えられても、現状まで変えるチカラは“ゼロ”
でも、8年前は違ったんだよ。


自分が浮かれていなければ、もっとしっかり医師や家族と向き合っていれば、娘の未来は変わったんじゃないか・・って。


娘は親である私たちに人生を預けたんだよ。
当時の私のようにそうするしかなかった。


母を亡くしてからの経験を活かせなかった自分に憤りを感じる。
「何のために今まで耐えてきたんだ!」って。


今日、仕事から帰り、車から降りるとカレーの匂いがした。
あの時のカレーの匂いとは違うけど、妙な懐かしさを感じた。


特にこの季節は娘が産まれた時期でもあり、少し肌寒い秋風が色々なことを思い出させてくれた。






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娘を失った時、どんな形でもいいから生きた証を残したいと思ったあの頃! [別れ]

娘を失った時・・・、

時間と共に娘の事を少しずつ忘れてしまう事が何より怖かった。



頭の中では、

『そんな事あるはずない!』

と考えていても、人の記憶はかなりいい加減だと思う。



娘が天使になって三年半が経過し、今も当時の気持ちは忘れていないつもりでも、

このブログを読み返して気が付く事がある・・・。



娘がいない現実を受け入れる事ができず、

どのように過ごせばいいのか、悩み苦しんだ三年前・・・。



私はその苦しみから解放される為に、

無意識のうちに記憶をすり替えたのかも知れない・・・。



娘がいなくなる時、どんな小さな物でもいいから生きた証しを残したいと思った。

戸籍を見れば、第一子として娘の生きた証しが記録されている。

しかし、住民票を見ても今は娘の名前はない・・・。



だから、当時の住民票や出生届などは全てファイルに保管、

妊婦健診の時にもらったエコー写真も専用のアルバムを購入し、

私たちのメッセージ付きで保存してある。



その他には娘の名前が入った保険証のコピーであったり、動画や写真もある。

三年前なら娘の動画を見たら前が見えなくなるくらい号泣したけど、

今は涙も出ない事が度々ある・・・。



この後、泣くシーンがあると思ったら身構えてしまったり、

今まで心で感じていた事を頭で考えるようになった・・・。



娘がこの世に産まれ必死に生きていた姿は、

医療関係者を除けば、僅か家族の7人しか見ていない・・・。



娘の事を話そうと思っても理解し合える人が、

たったの7人しかいないのは、少し寂しいと感じてしまう。



私にとって、2011年10月27日からの5日間は夢のような時間だった。

当たり前のように子どもを育てている人には分からないと思うけど、

今の幸せをもっと大切にして欲しい。



子どもがいたら自分の時間がないとか、

産後うつでおかしくなりそうとか言う人がいるけど、

『自分で望んだ事じゃないの?』



と言いたくなる時がある。

確かに私も甥や姪と生活をしていたから育児の大変さは分かっているつもりだけど、

子どもを失う辛さ程、悲しい事はないと思う・・・。



だいたいこんな話をしたら、

『育ててないから分からないよ!』



と言われてしまいますけどね・・・。

子どもを失っても育児をしても何かしらの悩みはあると思うけど、

子どもを失う経験をした人からすれば、元気に育ってくれるだけで十分幸せだと思う。



娘を失った当初は、ただただ悲しくて生きた心地はしなかったけど、

娘のお陰で強くなれたし、今は感謝の気持ちしかない。



心はボロボロになり悲しい思いをたくさんしたけど、

自分が傷付いた事で、人の痛みがより一層分かるようになった。



娘がこの世に生きた証として、
・最後まで諦めない事

・命を大切にする事

・人の痛みが分かる人間である事



これらの事を心に刻み、生きていかなければならないと思っている。

娘の温もりは感じる事はできないけど、心ではしっかりと繋がっている。



今を大切に生きて、いつの日か娘の所に行った時、

堂々と対面できる父親でありたいし、そうでなければならない!



p.s.
子どもを失ってから、私を励まそうと『育児は大変だよ~。』などと言う人がいて、
今回のような記事になりましたが、ひとつ誤解をして欲しくないのは、
決して産後うつを批判するつもりはないことをご理解ください。
天使パパや天使ママにとっては、よく言われる辛い一言なんです。
ですから、気にせず頑張りましょう!という応援の気持ちが入っています。
本気で議論をしたことがないので分かりませんが、子どもを亡くす経験をした人と
育児に疲れている人とでは、理解をし合うことは困難だと思っています。
このブログは子どもを亡くした人向けのブログになっているので、
天使パパ・天使ママ目線で書かれています。
ご理解いただけると幸いです・・・。



子どもの死は父親より母親の喪失感が上回る? [別れ]

再三、人の悲しみを比べるのは良くないと言っておりますが、

今回の記事も・・・、

『子どもの死は父親より母親の喪失感が上回るらしい・・・。』





父親の意見として、そんなことはないと思うかも知れませんが、

グリーフケアの専門員がこのように言っていました。



子どもの死は夫婦にとって、今後の人生を大きく左右する問題であり、

向き合い方ひとつで人生の絶頂期を迎えるか、転落人生となるか決まります。



子どもの死は想像を絶する喪失感と死への恐怖により、

前向きに考えることが出来なくなるケースが多く、

早期の心のケアが必要だと感じています。



一番の理想としては、夫婦や家族が支え合い、

子どもの死を受け入れ乗り越えることです。



しかし、身近な家族だからこそ・・・、

『どうして家族なのに、自分のことを理解してくれないんだ!』



と激しい怒りが湧き、やがて愛情が敵意や憎しみへと変わり、

やり場のない感情をぶつけるようになります。



特に母親は父親にはない母性本能(女性ホルモン)によって、

子どもへの思いが遺伝子レベルでインプットされているので、

そういった感情のズレが夫婦生活に影響を及ぼすようです。



ですから、子どもの死に対する受け止め方が父親と母親では異なるケースが多く、

この喪失感は、時間が解決してくれる問題だと軽視しすぎると、

『最悪の場合、夫婦関係が破綻します。』



この話を聞くと・・・、

『一刻も早く母親をカウンセリングに連れて行かないと・・・。』



と思うかも知れませんが、

カウンセリングが必要なのは、実は父親の方らしいのです。



カウンセリングにより父親が子どもを失う母親の気持ちを理解し、

相手に寄り添い、心地よい環境作りをしなければならないそうです。



昨年、札幌近郊で子どもの死のグリーフケアを受けられる団体を探しましたが、

なかなか見つけることができませんでした・・・。



数ヶ月に一度、天使ママが集まる集いはあるようですが、

今日明日話を聞いて欲しいと思っても、なかなか難しいのが現状です。



札幌市では自死遺族支援やこころの窓口はあるものの、

子どもの死に対しての相談は専門外の為、対応に困っている様子でした。



それでも、何かの力になりたいと思ってくれたのか、

親身に話を聞いてくれたり、アドバイスをしてくれました。



しかし、大切な家族や友人が自死で亡くなるケースと子どもの死の問題は異なる為、

心に響くアドバイスはありませんでした。



唯一収穫があったのは、市町村の保険センターであれば、

女性の職員も多いので、もう少し力になれるのでは?とのことでした。



結局、子どもの死に対して相談する場所が圧倒的に少なく、

個人で情報を得るには限界がある為、苦しんでいる天使パパママが多いです。



また、私事ですが同じ経験をしていない人に意見を言われても、

素直に話を聞けず、綺麗事だと思ってしまいます・・・。



そう考えると今はブログなどを通じて、

個人レベルで情報を発信するしかないのでしょうか?



私はブログの紹介文に書いてあるように、

好きで天使パパになったわけではありません・・・。



だけど、天使パパの気持ちは天使パパになった人にしか分からず、

いつまでも悲観的ではなく、その経験を誰かの為に使いたいですね。



確かに母親は命を懸けて出産するわけですから、

父親にはない感情があるのはごく自然のことです。



でも、父親は母親に敵わないかも知れませんが、

子どもや妻の一番の理解者だということを忘れないで欲しいです・・・。



決して、敵ではありません・・・。

一番の味方です・・・。



ですから、例えご主人が自分の思っているようにできなくても、

理解をしてあげて欲しいです。



きっと・・・、

『ご主人も奥様のことを理解しようと必死のはずですから!』





東日本大震災の被災者と私・・・。家族の死と後悔! [別れ]

東日本大震災から4年・・・。

毎年この時期になると地震があった日のことを思い出す。

東日本大震災は未曾有の大震災と言われ、まるで映画のCGのようだった。



私は散々このブログで、人の悲しみを比べるのは良くないと主張しているけど、

自分の気持ちが弱い時、ふと考えてしまうことがある・・・。



何より家族との死別が怖く、

些細なことでも必要以上に心配をしてしまう自分がいる・・・。

それが私にとって、ストレスのひとつでもある。



被災者の中には家や車や仕事、そして家族と全ての財産を失った人がいる。

それでも、笑顔で亡くなった家族の為に生きよう!

と必死に頑張っている姿を見ると私も刺激を受ける。



私は娘が亡くなってしまった時、生きたくても生きられない命がある限り、

その分まで生きよう、今まで以上に人の痛みが分かる人間になると誓った。



だけど、東北の人たちのように、

『あんな笑顔にはなれなかった・・・。』



今でこそ・・・、

家族や友人に心配をさせたくないから、自然な笑顔で向き合えるようになったけど、

当時はホントに酷いモノで、心と目は笑えてなかったと思う。



幼い時に母を亡くしたことで、家族の死との向き合い方、

乗り越え方は分かっているつもりでも、最愛の娘は違った。

医師と私たちの判断で娘の未来を奪ってしまった・・・。



娘は順調に育っていたし、

今、私のすぐ側で泣いたり笑ったりしていても不思議ではなかった。



私にとって娘の存在は亡くなって悲しいという気持ちだけではなく、

守れなくてごめんね!という気持ちの方が大きい。



娘が生きていたら、それだけで家族は笑顔になれただろうし、

大人へと成長する過程で、偉大なことを成し遂げたかも知れない。



私たち家族は自分のことだけではなく、

娘の未来を背負って生きていかなければならないと思う。



代わりにはなれないけど、娘の分まで楽しく生きようという気持ちだけではなく、

何かの功績を残すくらいの気持ちを持たないとダメかも知れない・・・。



子どもを亡くしても亡くさなくても、

家族は家族だし、友人は友人だけど、これだけは言える。

『娘の親として、周りと同じ視点ではダメ!』



メディアを通じての情報しかないけど、

被災者の様子や声が痛いほど伝わってくる瞬間がある・・・。



状況は違うけど、大切な家族を助けることが出来ず、

家族の死と闘っているのは私も同じ。



被災者を見ていると、

『目的意識を持って、前に進もうと努力しているように感じる。』



よく時間が解決してくれると言う人がいるけど、私はそうは思わない・・・。

確かに意識の風化はあるけど、忘れると乗り越えるのは全くの別物。

そして、乗り越える為には意識を持たなければ無理だと思う。



私と東日本大震災の被災者との違いは、家族の死との向き合い方だろう。

私は娘が亡くなった病院や同じくらいの小さい子どもを見たら思い出すけど、

被災者はその土地に立っている以上、忘れる瞬間などないと思う・・・。



昨日のミヤネ屋でも取り上げられていたけど、

宮城県石巻市立大川小学校の被災校舎をめぐって話し合いが行われている。



『家族が亡くなったあの場所を通るたびにつらい・・・。』

『保存にかかる費用を将来の人たちに負わせるべきでない』

と解体を望む人・・・。



『思い出の詰まった母校を壊さないで欲しい・・・。』

『まだ見つかっていない子もいるし、震災を風化させない為にも必要!』

と保存を訴える当時小学生だった子どもたち・・・。



『私は思った。』



子どもたちの方が家族の死を受け入れ乗り越えよう、

未来へとしっかり繋げていこうという意思が強い。



一方、子どもたちを守り未来へと繋げていかなければならない大人たちの方が、

現実的でもあり、マイナス的な要素が多かった。



もちろん全ての人がそうだとは言わないし、

偶然メディアで取り上げられた一部の情報でしか私は知らない・・・。



だけど、幼少期の私は未来を見据え、

大人である父が母の死から逃げ育児放棄をした。

その記憶があったせいか、そんな先入観でミヤネ屋を見てしまった。



結果、大川小学校の保存を求める意見が最も多かったようだけど、

今後、一体どうなるのだろうか?



東日本大震災と娘が亡くなったのは同じ年・・・。

私にとっても2011年という年は一生忘れることのできない年であり、

家族を失った被災者の姿には目を奪われてしまう。



まだまだ自分には足りない物がたくさんあるし、

東北の人たちの姿勢を見習わないといけない。

一度、まとまった休みが取れたら被災地へと行ってみよう。



出産準備リストを作るなら、必要最低限の方が良い? [別れ]

今から3ヶ月程前の話ですが・・・、

妻の妊娠中に購入したチャイルドシートとベビーラックを売却しました。



娘との約束があったので、胸が張り裂けそうな思いでしたが、

このまま使う事なく捨ててしまう方が心苦しかったので、

ネットオークションに出品することにしました。



今回売却したベビー用品は、

妻の妊娠中に出産後のことを考え購入した物です。



他にも必要最低限にとどまらず、

出産前後に必要だと思った物は、リストを作ってかなり買い込みました。



私たち夫婦は、せっかちと言うか少し余裕を持って行動するタイプなので、

ギリギリになって焦るのが嫌だったのです。



そんな意気込みを感じた祖母は、

『あんまり早く準備すると、ダメになるって言うよ・・・。』





妻はあっけらかんとしていましたが、

私はその言葉が少し気になっていました・・・。



祖母は決して嫌味を言ったのではなく、

昔からのジンクスを私と同様に気にしていたのだと思います。



昔は今より医療が発達しているわけではないので、

現代では助けられる命も助けられなかったのでしょう。



その結果、流産や死産が今よりも身近に感じることが多く、

出産後の為に準備したベビー用品が、

さらなる悲しみを生むと考えたのでしょうね。



実際、私たち夫婦も出産後の為に準備したベビー用品を見るのが苦痛で、

悲しみと苦痛を倍増させました・・・。



100均で購入したケースやポーチ類などは、心置きなく処分できましたが、

高額の物や衣類はなかなか処分できませんでしたね。



また、妻にとっては子どもを産まなければならないという、

大きなプレッシャーになってしまったと思います・・・。

もっと早く売却して、楽にしてあげれば良かったと今は思っています。



購入してから3年以上経過していたので、

気持ち半分諦めていましたが、ネットオークションに出品すると即売でした。

しかも、当時購入した金額の半値以上で売却することができました!



しかし、チャイルドシートのサイズが大きすぎて、

5000円以上の配送料が発生してしまい、

落札者も落札するのに迷いがあったそうです。



その話を聞き、偶然にも道内の人でしたので、私が配送することにしました。

少しでも落札費用を抑えたいという気持ちと、

娘の為に買った物を自分の手で届けたいという想いがありました。



それが、

『私にとって、ひとつの区切りになると考えたからです。』





落札者は幸せそうな若者夫婦で、私が夢に見ていた光景がそこにはありました。

何だか微笑ましく、少し幸せを分けてもらえた瞬間でした。

『こんなに喜んでもらえるなら、ホント来て良かった!』





と思いましたが・・・、

次第に切なさから何とも言えない気持ちになり、目頭が熱くなりました。



でも、娘の為に悩みに悩んで購入した物を、

部屋の片隅に置いたままではなく、

誰かに使ってもらった方が、きっと娘も喜びますね。



本当は娘の弟か妹に使いたかったのですが、

3年経って心が折れちゃいました・・・。



最初で最後のたったひとつの約束すら守れない私は、

もしかしたら、父親になる資格なんてないのかも知れませんね・・・。



子供との死別は、経験者にしか理解できないのか?子供との死別を乗り超えるには? [別れ]

子どもの死は、経験者にしか理解できない点が多いと思います。

とにかくただただ辛く悲しく、生きた心地が全くしません・・・。



その悲しみから抜け出す為に、人は様々な選択をします。
・自問自答する

・家族と支え合う

・何かに依存する





私がした選択は、

『自問自答をし、家族を支えるです。』



子どもの死を乗り越えるには、まずは自分が一歩二歩先に進み、

妻の手を引っ張らなければならないと、私は考えました・・・。

『きっと、それが間違いだったのでしょう・・・。』



私は家族と支え合っていなかったのです。

つまり、

『まだ立ってもいない妻の手を強引に引っ張り、前に進もうとしたのです。』



そもそも、立ち上がっていない人の手を引っ張っても、前には進めません。

でも、私が母を亡くした時、兄二人は私の手を引っ張ってくれました。



父が失踪して、私が人の道から外れそうになった時も、

兄二人は私の手を引っ張り、正しい道へと戻してくれました。



まだ子どもだったし、たくさん遠回りをしたけど、

その結果、試練を乗り越えることができたと思っています・・・。



だから私はこれまでの経験を活かして、

妻が最短ルートで乗り越えられるように支えようと思いました。

少しでも、辛く悲しい思いをして欲しくなかったのです。



しかし、それは間違っていました・・・。

妻が立ち上がり、少しずつでも歩き始めてから、背中を押すべきでした。



少しでも早く、最短ルートで乗り越えるのではなく、

むしろ、遠回りすることが大事だったのかも知れません。



娘を失ってから3年が経過し、時間の流れが悲しみを癒し、

今まで見えなかったモノが見えるようになりました。



そんな私が子供との死別を、夫妻で乗り越える為に必要だと思うことは、

『やっぱり家族で支え合うことです!』



支えるではなく、支え合うです。

一方通行ではダメです。



そして、一番やってはいけないことは、

『何かに依存することです!』



例えば・・・、
・お酒やギャンブル

・ひとりの趣味

・不倫





依存は解決ではなく、私は現実逃避だと思っています。

依存している時は感覚が麻痺し、その時はスゴく楽しいですが、

現実に戻ると急激に寂しくなります。



その結果、徐々に依存度が進行し、

どんどん深みにハマり、抜け出すことができなくなります。



子どもとの別れを100人が経験したとしても、

正しい答えは、ひとつとは限りません。



きっと100通りの人生があるように、

私の考え方は、その中の1通りでしかありません・・・。



正しいか正しくないかは今でも分かりませんが、

でも、何かの参考になればと思い、今回のテーマにしました。

『子どもの死を経験し、3年経った天使パパの今の気持ちです。』





どうして人は自分の悲しさ、悲しみを比べようとするのだろうか?【後編】 [別れ]

さて、前回に引き続き、

『どうして人は自分の悲しさ、悲しみを比べようとするのだろうか?』



本編の前に・・・、

今日さっそく【前編】の記事について、コメントをいただきました。



【前編】の記事は、自分なりに誤解のないよう慎重に書いたつもりです。

大切な家族を失って間もない方が見ると、不快に思う可能性があったからです。



ですから、コメントが届いた時は超ドキドキしながら確認しました。

『貴重なご意見、誠にありがとうございました!』





それでは、本編へ!

二人目は、親を病気で亡くした女性のお話です。



実はこのお話、一人目の子どもを亡くした女性の話と繋がっています。

前回の記事に書いたような事を、二人目の女性に話しました。



その女性は、

『自分が一番辛いとか、家族に当たるとか考えられないし、
        私の立場だったら、逆に申し訳ない気持ちになる。』



と答えました。

誰よりも家族を大切にする人の考え方ですね。



私も同感です。

しかし、その女性はもう一言付け加えました。

『子どもを亡くすのも辛いけど、親を亡くす事の方が辛い・・・。』



私はデジャブかと思い、そして、彼女に聞きました。

『どうして自分の悲しさと他人の悲しみを比べるの?』



彼女はこう答えました。

『本当に仲が良かった家族だったし、
一緒にいる時間が長ければ長いほど、たくさんの思い出や愛情がある。
だから、季節の変わり目とかでも、色々と思い出して涙が出るから・・・。』



私は母を8歳の時に亡くしているので、

親がいない悲しみや寂しさは分かります・・・。



でも、母と行った旅行の思い出(記憶)は僅かにありますが、

声や匂い、おふくろの味など全く憶えていません・・・。



ですから、その話を聞いた時に思いました。

『私は親の死というモノを知っているようで、本当は知らないのでは?』



彼女が語る親との思い出は、聞いている私まで温かくなる話でした。

しかし、子どもを亡くす事の辛さを経験した私には、

何だか、自分たち家族が悩み苦しんだ3年間を否定された気分になりました。



そのまま黙って聞き流す事も考えましたが、

『人との別れに対して、自分が一番悲しいとか、悲しさを比べたらダメだよ!』



と、つい口から出してしまいました・・・。

自分の答えが正しいのか、私自分にも分かりません。



でも、自分の悲しさ、悲しみを人と比べた時に、

『私の悲しさ、悲しみは一番じゃないかも・・・。』



と、もし思う事ができたら、悲しみは無くなりますか?

『いえ、私は難しいと思います・・・。』



悲しみを紛らわす事ができても、

自分の本当の気持ちまで、騙す事はできないでしょう。



この女性二人に共通して言える事は、

大切な人と別れる悲しさ、悲しみを克服する為には、

もう少し時間が必要だと思います。



その貴重な時間と経験によって、傷付いた心が成長し、

今まで見えなかった物が、見え始めてきます。



人は傷付き、悩み苦しむ経験をする事で、人の痛みが分かるようになり、

今まで当たり前だと思っていた事が、どれだけ幸せで大切なモノだったのか!?

気が付く事になります。



いつの日か、その経験を大切な人の為に生かし、

辛く悲しい思いをさせないように、全力で支えるべきだと思います。



しかし、私は幼少期からの経験を何一つ生かす事ができていません。

私は娘も義父も、そして妻も、誰ひとり守る事ができなかったのです。



だからこそ、

『私はもう二度と同じ失敗はしない!』

と心に決めました。



どうして人は自分の悲しさ、悲しみを比べようとするのだろうか?【前編】 [別れ]

はじめに今回の記事は、少しシビアなお話になるので、

予めご理解頂ければと思い、お伝えしておきます。



賛否両論があると思いますが、私個人の見解ですので、

最後まで、温かい気持ちでご覧いただけると幸いです。

それでは、本題に入ります。



タイトルにあるとおり、

『どうして人は自分の悲しさ、悲しみを比べようとするのだろうか?』



何故?このように思ったのか・・・。

それは、同時期に二人の女性から同じような話をされたからです。



一人目は、子どもを亡くした女性。

二人目は、親を病気で亡くした女性です。



まずは、一人目の子どもを亡くした女性のお話です。

『人が亡くなるには順番がある・・・。
   しかも、産まれて間もない子どもを亡くした母親は誰よりも辛い!』



私も以前記事にしましたが、

理想は祖父母 ⇒ 両親 ⇒ 自分 ⇒ 子ども ⇒ 孫の順で逝くべきだと思います。



本来、守ってあげなければならない我が子を救う事が出来ず、

亡くしてしまうわけですから、辛いのは分かります。

『私も子どもの死を経験しています!』



しかし、わざわざ口に出して、

『子どもを亡くした母親が、誰よりも辛い!』



と主張しなくても良いのでは?と思います。

確かに、母親はお腹の中で10ヶ月育てています。



女性は妊娠した時に母親となり、

男性は産まれて我が子を抱いた時に、父親になるという話があります。

ですから、女性の言い分も理解できます。



しかし、そもそも子どもをひとりで育てているのでしょうか?

夫や両親など、家族のサポートもあるはずです。



また、子どもを亡くした時の悲しさ、悲しみそのモノを人と比べるのは、

間違いなのではないでしょうか?



人それぞれ悲しみ方も違えば、悲しさを紛らわす方法も違います。

子どもを亡くした親からすれば、

『どうして私たちの子どもが・・・。』



と思い、孫を亡くした祖父母からすれば、

『どうして私たちの孫が、娘(息子)が何をしたと言うんだ…。』



となり、立場によっては悲しさ、悲しみの向き合い方が違うと思います。

夫の立場から考えても、

『どうして私たちの子どもが・・・、今は妻を支えないと・・・。』



ですから、悲しさ悲しみを比較する事はできませんし、

勝負事ではないので、やってはいけない行為だと私は考えています。

例え立場が違っても、その人の中では凄く悲しいはずです。



自分の心に余裕がないと、どうしても誰かに当たりたくなりますが、

人の心の痛みや悲しさ、悲しみは本人しか分からない事ですから、

人と比べたり、否定をしないで欲しいと思います・・・。



でも、誤解はしないで欲しいです。

私は、命懸けで子どもを出産する女性を尊敬しています。



男の私には出産の痛みは分かりませんし、

妊娠中の10ヶ月が女性にとって、どれだけ大変な事なのか?



体調不良や体が重くなるにつれて不自由となり、ストレスも溜まると思います。

私が娘と出会えたのも、妻が命懸けで出産してくれたからです。

ホント、男性は女性にもっと感謝するべきですね・・・。



だからと言って、自分の主観で家族や友人に当たったり、

現実逃避をする事は、親としてもひとりの人間としても失格だと思います。



少し長くなったので、ここでブレイクタイムとしましょう!

二人目のお話は、次回にします。

続く・・・



良き理解者の一人が職場を去る事に! [別れ]

最近物凄く、孤独を感じる時がある・・・。

本来、最大の理解者は妻のはずなのだが、家に居ても孤独を感じる・・・。

『私にとって最大の理解者は、一体誰なのだろうか?』





兄や義母も私の理解者に間違いはないが、

何だか・・・、今は家族がバラバラのようで会うのも心苦しい。



親友や知り合いの中には、私を理解し受け入れてくれる人はいる。

でも、それぞれが家庭を持ち、幸せそうにしているのを見ると、

嬉しいけど、ほんの少し寂しい気持ちになる。



きっと、自分が求めている理解者というのは、

『温かい家族なのかも知れない・・・。』



一から十まで説明しなくても、表情や空気を悟って、

『何かあったのかな?』 って、



一歩引いた所で温かく見守ってくれたり、

支えが必要な時には、何も言わなくても手を差し伸べてくれたり…。

そんな理解者が欲しいと思う時がある。





少し話は変わるけど、長年一緒に働いていた職場の同僚が退職する。

体の調子が悪いのも一つの理由だけど、家族との時間を大切にしたい、

それが一番の理由らしい・・・。



一緒に働き10年弱、職場では色々な事があった。

嫌な事や楽しい事を共有し、共に頑張ってきた仲間だからこそ、

寂しい気持ちにもなる。



特にその同僚は娘が亡くなった時から、たくさん話を聞いてくれた仲間だから、

いなくなるのが残念だと感じるし、今思えば良き理解者のひとりだった。



私が一言話せば、一言以上の答えを返してくれた。

私自身、いつも通り接しているつもりでも、

『何かあった?』





少しの異変にも気が付く同僚だったから、

怖いと思う反面、信頼もしていたと思う・・・。

これから、仕事の話もまともに話せる仲間がいなくなると思うとゾッとする。



子どもの頃はひとりぼっちで、ちょっと変わった家庭環境だったから、

私の事を理解してくれる人なんていないと思っていた。

信用できるのは、自分ひとりしかいないと思っていた頃もあった。



だけど、たくさんの人と出会い、支え、支えられてきた結果、

そうじゃない事に気が付いた。



今も自分の事を理解し支えてくれる人が欲しいと思うけど、

まずは、誰かを理解し支えられる人間でありたい。



死後の世界は果たして実在するのか? [別れ]

死後の世界は存在するのか?

ここ数年、よく考えるテーマです・・・。近年あまりテレビで放送はされませんが、夏の心霊特集は必ず見ていました。今では信じられませんが、10代後半は友人数名で某心霊スポットに行ったこともあります。



そういうスポットって、火災事故などで建物が全焼し廃墟と化しているケースが多く、そこで亡くなった人が成仏できずに彷徨っているというのが、心霊スポットの定義となりますね。



私は娘を失うまでは、未練のある魂はその場所にとどまると思っていました。
『つまり、幽霊はいるということです・・・。』


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