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衝撃な言葉、その真相は… [雑談]

兄から語られた衝撃な一言とは?
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その前に、また新たな展開があり、少しブログの更新に時間がかかりそうです。

情報を整理次第、需要があれば、ブログ内での更新をいたします。

その間はX(Twitter)でつぶやきます。
愚痴しか出ません…苦笑

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父親への失望・・ [雑談]

ある日、突然兄が家にやって来た。

兄「おう!元気かー?」

私「どうしたの?急に」

兄「ちょっとこっちに来る用事があったから、久々に飯でもどうだー?」

詳しく話を聞くと〝姪っ子のお使い〟でこっちに来たらしい。

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兄「最近どうだー?」

私「まあまあ忙しいかなー」

そんな〝他愛もない会話〟が続き、私は一応父親のことを話しておくか・・と思った。

そして、これまでの一連の話をした。




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まだ見てない方は↓↓↓
疎遠の息子

兄「ふーん・・」

(冷静ながらも何か考えている雰囲気)

兄「それからは?」

私「仕事で昼間いないから、来てるのか分からない・・」

兄「そうかー」

(言葉は少なげだが、何か言いたそうな空気が流れている)

兄「金だな!」

思わず笑いそうになった。

兄は悪くない、なぜなら誰もが「金だな!」と言うからだ。

(どんだけ印象悪いんだか・・)

私「やっぱりそう思う?」

兄「それしかないだろー!」

私「だよねー」

兄「憶えているか?水道止められていたこと」

私「うんうん」

今でも当時のことははっきりと憶えている。

あの日も近くを通ったからトイレを貸してと兄は突然やって来た。

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小学生だから分からなかったが、トイレを借りる口実で私の様子を見に来ていたのだろう。

ただ水道が止められているとは、夢にも思わなかったと思う。

兄「水道止められるって相当だぞ!苦笑」

私「ははっ・・苦笑」

兄「そんな父親が病気で死ねかも知れない、だから、お前に財産を残しているから受け取ってくれ!なんて言うと思うか?」

私「ないだろうねー」

兄「万が一、宝くじに当たりました。使い切れないほどのお金があります。」

私「うん・・」

兄「だとしても、お前はそんな父親から何も受け取る必要はないんじゃないか?」

私「うーん・・」

(一億くれるなら欲しんですけど・・)




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兄は武士のような人間。

良く言えば、〝強い信念があり、軸がブレない人〟

悪く言えば、〝融通が効かない〟

きっと兄の気持ちはこうだろう。

確かに〝金は金〟かも知れない。だけど、そんなクズ親から貰った金に手を付けたら、私は〝息子〟として認めたことになる。

30年近く前に父親と決別し、自分の力でここまでやって来たこと、そして、そんな自分を支えてくれて人に対して、〝カッコ悪い〟ことをするな!という意味ではなかろうか?

兄「まあ、まず宝くじに当たることはないし、そんな父親じゃない・・」

そして、少し考えた兄の口から衝撃的な言葉が出た・・

確かに大人になった今なら分かる。

私はそんなことまで考えもしなかった。

今まで私に言わなかったのは、兄の優しさだろう。

兄が私の父親を憎む理由。

その理由を聞いて、私は改めて父親に失望した。


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疎遠の息子③ [雑談]

ある街に〝日頃の疲れを癒し落ち着いて過ごせるスナック〟がある。

そこはひとりでも気軽に行ける店。

気取らずアットホームな雰囲気で、気さくでおしゃべり好きなマスターが出迎えてくれる。

行く日によっては常連客で店内は満席になるが、お客様がいない時はお酒を飲みながら人生相談もできる、らしい・・

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前回の続き・・↓↓↓
疎遠の息子②

私はその日の夜、ある場所へ向かった。

マスター「お疲れー、どうしたくらい顔して」

私「ちょっと色々あってさー」

マスター「色々・・・」

私はこれまでのことをマスターに話した。

マスターの顔色がどんどん暗くなる。

(想像通りだなー)

私はなぜマスターに話そうと思ったのか。

それは30年近く疎遠でありながら、自分の都合で押しかけて来る非常識な父親。

万が一、そこで口論になり警察沙汰のトラブルに巻き込まれた場合、事情を知らないマスターは驚くだろう。

それがもし、私が何らかの理由で命を落とすことになったら、真実は闇の中である。

「いやいや、そんなことあるかーい?」

と思う方もいるかも知れない。

だけど、小学生の時、一度身の危険を感じる出来事があった。

そして、最初はそんなつもりはなくても、自分の思い通りにならなかった父親が突然襲って来るかも知れない。

物騒な世の中だ。

何が起きるか分からない・・

こうしてブログに書いているのも、ある意味、何かあった時の為だ。

マスター「で、お前はどうしたいの?」

私「どうしたいも何も、いないと思っている父親が現れても困る」

マスター「俺らに気を遣わなくてもいいんだぞ!お前の父親なんだから」

私「本当に無の感情で、〝憎いとか会いたい〟とかそんな感情すら全くない」

マスター「そっかー、わかった!連絡先教えろ、俺が電話する」

私「えっ!」

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マスター「お前がわざわざ連絡する必要はない!」

私「あ、うん。」

マスター「まあ、良い話ではないだろうな、多分金だろ!金!」

確かに〝便りがないのは良い便り〟と昔から言ったもんだ。

私も口には出さなかったが、そんなことなんだろうなーと思っていた。

(実際はわからない)

もしかしたら、本当に身体の調子が悪く、余命宣告をされているかも知れない。

これまでの人生を振り返り、思い残したことがあって私に会いに来たのかも知れない。

〝最後に謝りたい〟と。

事実はわからない。

もしもそうなら、それはやっぱり父親本人の自己満足に過ぎない。

〝ただ誤ったことで自分が楽になりたいだけ〟

私は昔のことを思い出して不快な気持ちになるだけだろう。

結局、そういう人間は自分のことしか考えない、相手の気持ちなんかお構いなしだ。

とはいえ、仮にも父親だ。

〝私はそんな人間の気持ちを汲む必要があるのだろうか?〟




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私はマスターのLINEに連絡先を送信した。

そして、マスターとの話の中で最終的に決まったことは、父親もしくは父の友人と名乗る人間が再度現れた場合、マスターが電話する形で落ち着いた。

私の父親はどうなっても知らないが、逆情したマスターが何をするか分からないからだ。

この話は今から半年くらい前の話である。

後に子どもだった私が知らなかったことが次々と判明するのであった・・

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疎遠の息子② [雑談]

ピンポーン♪とインターフォンが鳴った!

モニターには知らない女性が映っている。

「誰だろ?」

もう一度モニターをよく確認する。

そこには少しオシャレな帽子を被った高齢女性が映っていた。

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モニターが消え、

「まぁいいかー」

と思っていると・・

ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン♪

えっ!3連ピンポーン!!!

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自分に何か用事あるのか?誰だ?と考えた。

しかし、嫌な予感がしていた私は出るのをやめた。

なぜなら、前回記事に書いた出来事があったからだ。

前回記事を見ていない方は↓↓↓
疎遠の息子

とはいえ、自宅を知っているはずがない。

いずれにしても、気味が悪い。

すると諦めて引き返す姿がモニターに映った。

「やっと帰ったかー」

と思っていると・・




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ピンポーン♪

またもや、あの高齢女性。

家を間違っているのか、少なからず〝ここ〟に用事があるのは間違いない。

「仕方ない出るかー」

とモニターの通話ボタンに手が触れた瞬間、高齢女性の背後に人影が映り込んだ。




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身長が高く、石原裕次郎か!ってツッコミたくなるようなサングラスをした男性がモニターに映っていた。

しかし、その風貌には見覚えがあり、妙な懐かしさがあった。

そのインターフォンに出るか?出ないか?の問題以前に

〝なぜ自宅がわかったのか〟

そのことばかりを考えていた。

その間も、

ピンポーン♪ピンポーン♪ガチャ!ピンポーン♪

「えっ?今ガチャって・・」

おいおい、いくら戸籍上父親でも30年近く会ってもいないのに非常識だろっ!と思ったが、そこでまんまと相手の罠にハマるわけにはいかない・・

(何の罠だよ笑)

5分くらいピンポーン♪を鳴らし続け、諦めて帰ったっぽい。

だが、今回は諦めて帰ったようだが自宅を知られているとは想定外だ。

明日以降、また来るかも知れない。

対策を練る為、その日の夜、ある場所へ向かった・・


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疎遠の息子 [雑談]

皆さんには疎遠の息子、娘さんがいますか?

大事な家族を捨て、自分の欲望のまま異性と消息不明になるような身勝手な人間、または借金を作って姿を消すような人間ではありませんか?

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今から半年くらい前になるでしょうか・・

「久しぶりー!元気ー?」

と友人から連絡がありました。

その友人の話によると・・

「お父さんの友人と名乗る人が、○さんいますか?」と尋ねて来た、との事。

私「何て答えたー?」

友人「もう退職しました!」

父友「どこにいるかわかりますか?」

友人「連絡は取れますが個人情報なので、教えられません。

父友「お父さんの身体の調子が悪いので、連絡が欲しいとお伝えください。」

と連絡先が書かれたメモを置いて行ったらしい。

友人「何か特別な事情がありそうだから、私以外の人には伝えてないから安心して!」

私「ありがとう!さすがだわ!」

と友人にお礼を伝え、今後同じようなことがあっても、〝何も知らない〟と答えて欲しいとお願いをした。

父とは30年近く疎遠で、今思えば〝クズ人間〟

子どもの頃は、他の家庭のことなんて分からないし、自分が置かれている環境こそが普通なんだな…と思っていた。

唯一、母が事故で亡くなっている為、他の一般家庭よりは不自由な面があっても仕方ない・・と子どもながらに考えていたくらい。

例えば、母子家庭なら経済面であり、父子家庭であれば食事面など。

変わらない現実を僻んでも何の意味がないことを知ったのは、その頃かも知れない。

それなら自分で努力して、その現実を変えれば良いじゃないか!と子どもながらに思っていた。

毎日コンビニ弁当を食べていたとはいえ、食べれるだけでも恵まれていた。電気や水道が止められても、雨や雪、風を凌ぐ家があるだけでも感謝した。

その生活で学んだことは、

「水道を止められたらトイレが流せない」

まあ当たり前なんだが、10歳でそれを知ったのだから、笑い話として受け止めて欲しい。

ただ、まさかその数年後に家まで持って行かれるとは夢にまで思っていなかった。

ここまで読んで分かるように、お金にだらしない父親だった。




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ある日学校から帰ると家が差し押さえになり、ドアノブにロックがかかっていた。

状況が全くわからず、どうして良いか分からない、当時は携帯電話もないから父との連絡手段もなかった。

その時、真っ先に思い浮かんだのは〝家なき子〟

パートナーの野良犬を探すか、施設に入れられるのが先か?アホだと思うかも知れないが、真剣に考えた。

なぜなら、

〝実の親でさえ子どもを見捨てる〟

そんな状況で〝赤の他人が助けてくれるはずなんかない〟と思っていたから。

自分で何とかしなきゃ!と思っていた矢先、偶然家に来たのが、義理姉だった。

〝自然と涙がこぼれ落ちた〟

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その日から兄夫婦が家族となった。

それから30年近く経ち、「連絡が欲しい」と言われても、〝自分には親がいない〟と思いながら必死に頑張って来た。

本来、親の支えが必要な時期にも親に甘えられない分、自分でどうにかしなきゃ…と気持ちを切り替えメンタルも自分でコントロールしてきたつもりだ。

そうしないと心が折れていた。

いないはずの親が体調不良?頭では理解できるが気持ちが追いつかない・・

色々考えていた矢先、

ピンポーン♪とインターフォンが鳴った・・



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能登半島での大地震、津波の被害映像を見て思うこと [雑談]

2024年元旦、能登半島で最大震度7を観測した大地震。

石川県では多くの人が亡くなり、他県でもケガ人が続出した。

気象庁は東日本大震災以来、初めて大津波警報を発表し、石川県の輪島港では1.2メートル以上の津波を観測。一部の沿岸部で住宅被害も出た。





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能登半島での地震の被害状況、そして町を飲み込む津波の映像を見て、東日本大震災を思い出した。

私は東北出身でもなければ、過去に一度も住んだことがない。

だけど、あの東日本大震災があった2011年は自分にとって特別な一年だった。

愛娘の誕生、そして別れ…

天国から地獄へと叩き落とされた年。

2024年、賑やかな新年を迎えるために多くの人々が家族の帰省を喜び、家族との正月休みを楽しみにしていたことだろう。

いついかなる時も、このような震災は起きて欲しくない。とはいえ、東日本大震災があったあの日から、万が一の大地震に備え、非常品をリュックに入れたり、避難場所の確認など心の準備をしていた人も多かったはず。

特に能登半島付近では2020年ごろから地震活動が活発化し、23年5月には最大震度6強の地震が発生、その後も地震が続いていたから尚更だ。

今回の大地震もある程度予想されていたとはいえ、

「なぜ、よりによって元旦なんだよー」

と思った人もいるのではないか?

特に帰省を予定していた人、帰省していた家族が犠牲になり残されてしまった人。

大切な家族を失ってしまったことへの苦しみ、大切な家族を守れなかったことへの後悔、これからの人生、自分の存在価値など考えさせられる時間を過ごしていると思う。

大切な人を失うことは本当に辛く、何年経っても簡単に受け入れられるものではない。

そんな被災地の映像を見て、胸が苦しくなった。そして、それと同時に今の自分に出来ることを考えなければならないと思った。

「よし、準備しよう!」

もし出動要請が来たら、第一陣で行きたいと上司に伝えた。

上司には「まだはっきり分からないから待機してろ!」と言われたが、何とも言えない気持ちになった。

2011年、あの時の自分は何も守れなかった。愛娘の命も何もかも。

そんな自分が嫌で必死に頑張って来た。

何度も心が折れそうな時もあった。

だけど、そんな時は〝あの日〟を思い出す。





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愛娘が天国へ行ったあの日、旅立つ愛娘の棺に手紙を入れた。

自慢の出来るお父さんになること、自分が愛娘のところに行った時に恥じない人生を歩んで行くこと。

自分が生きる理由、それは愛娘との最初で最後の約束を守ること、それが全て。

もちろん危険なのは分かっている。

でも、ここに答えがあるような気がしている。
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