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今だから言える、考えさせられること・・ [幼少期]

新型コロナウイルスによる感染者数が、毎日更新されていますね。


一部の地域では、2回目の緊急事態宣言が発令されましたが、「緊張感を持っている人」と「2回目で慣れちゃってる感がある人」で温度差があるようです。


私個人としては、今は我慢の時期だと思っているので、仕事以外の外出は、出来るだけ控えるようにしています。


ここまで新型コロナウイルス感染者が増えてしまうと、気を付けるにも限界があります。しかし、自分の身は自分で守るしかないですし、大切な家族を守るためにも、軽率な行動をしないように気持ちを引き締めていきたいところですね。





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最近、色々考えることが多いんですよね・・


決して悩んでるわけではないんですけど、歳をとったのかな・・(笑)


その中でも、母のことを考えることが増えました。


その理由は、
たぶん、母が亡くなった年齢に私がなったから・・


時代もあるだろうし、一概に同じとは言えないかも知れないけど、同じ視点で物事を見られるようになったというか、同じ立場にならないと想像でしか言えないところってありませんか?


実際には分からないことなんですけど、私が亡くなった娘に対して「守れなくてごめんね・・」という気持ちがあるように、母が死ぬかも知れないという状況の中で、一番心配だったのは私のことだったと思います。


幼いときの私には、子どもには理解し難い感情ですからね・・
当時の私は、ただただ寂しい毎日を過ごしていました。


「何で自分には母がいないんだろう?」


小学生の時は、暗くなると毎日泣いていたような気がします。


そして、その寂しさを埋めるためなのか?母がいない現実を受入れるためなのか?「自分は愛されていなかったんじゃないか?」と考える時期もありました。


今なら冗談だと思えるけど、当時「こうきは川から流れてきたんだよ!」とか言われていたし、悪さしたら、冬でも外に出されたりしていたので・・


きっと、子どもなりに寂しさから解放される方法を探していたんじゃないかな?


当時が今のようなネット社会だったら、悪い情報ばかり吸収してしまい、もしかしたら悪い方向に進んでいたかも知れませんね。


だけど、子どもが産まれるときに誰もが名前を考えるじゃないですか?


こんな子に育って欲しい・・

縁起のいい画数にしたい・・


親にとって子どもは宝物で、名前は子どもにあげる初めてのプレゼントとも言えます。


そう考えたら、私の名前って真剣に考えないと出てこない名前だと思うし、真剣に考えて名付けてくれたんだろうな・・と思えるようになりました。


そんな風に考えられるようになってから、母の死についての考え方も変わりました。病弱だった私が母の死後、大きな病気やケガひとつなく生きて来られているのも、母が守ってくれていたのかも知れませんね。


私には親孝行できる母はもういませんが、まだ親孝行できる方は大切にしてください。


親がいること・・

子どもが元気に産まれてくること・・


当たり前のことではないんです!
その幸せがいつまでも続くように願っております。






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