小保方晴子氏の「あの日」「あの日」という言葉を聞いて真っ先に感じた想い・・・。 [出産]
誤解を招く恐れがあるので、予めお伝えしておきますが、
小保方晴子氏の手記「あの日」を読んだ感想ではありません。
小保方晴子氏が手記を出版し、各メディアが一斉に報道を行いました。
その報道を見て、真実は一体どこにあるんだろう?と思いました。
時間が経てば経つほど、人の感情や記憶は薄れ、
真実を明らかにしたいと思った頃には、すでに遅かったりします。
もし真実を追求しようとすれば、言った言わないの水掛論へと発展し、
真実を追求される側が、有利となるケースが多いです。
だからこそ、「鉄は熱いうちに打て」のように、少しでも早く、
追求される側が、言い訳のできない状況に追い込まなければなりません。
報道で、小保方晴子氏の手記「あの日」という言葉を目にした時、
まさに「あの日」を思い出しました。
私にとっての「あの日」とは、
『2011年10月27日です!』
娘が産まれた「あの日」病院からの電話で目が覚めました。
看護師『奥様の容態が変わったので、今すぐ病院に来ていただけますか?』
若干違和感はあったものの、私は妻の陣痛が始まり、
もうすぐ娘が産まれるという意味だと思っていました。
私は急ぎながらも、洗面所で顔に冷水をかけ、
鏡に映った自分に喝を入れました。
しかし、実際に病院へ行くと状況は全く違ったのです。
一瞬、私の頭の中は真っ白になりました。
こんな事態にならない為に、妻は入院をしていたはず・・・。
そして、1分1秒の時間を争うなら、
『さっきの看護師は何故?事情を説明しなかったんだ!』
と、病院の全ての対応に憤りを感じました。
結果として、看護師が電話で本当のことを言ったとしても、
私より後に医師が来たわけですから、手術が早く行われたわけではありません。
いずれにしても、娘の未来は変わらなかったのかも知れない・・・。
だけど、病院の対応に疑問を抱いた瞬間でした。
偶然、私の方が医師より早く病院に到着しましたが、
私の方が遅ければ、手術の同意書にサインをすることが出来ず、
手術が遅れることも予想出来たはず・・・。
私が急いでしまい、万が一、交通事故に遭う可能性を考慮したとしても、
「遭うかも」よりも、今の状況を最優先するべきです。
妻の手術中、色々なことを考えました。
卵巣茎捻転で、この病院に救急搬送で運ばれた時のこと。
あの時の手術は、本当に必要だったのか?
出産予定日が過ぎているにもかかわらず、
分娩監視装置などでチェックをされていなかったのはなぜだ?
もしかして、管理態勢に問題があったのでは?
担当医に分娩方法の確認をされた時も、
何の説明もなく、普通分娩での出産となった。
私は前回の手術で、妻のお腹に傷が付いてしまったことを申し訳なく思っていた。
だから、普通分娩での出産が可能であれば、そうしたかった。
医師と私たち3人で、今後の方針を話し合った時、
そのことは話さなかったが、普通分娩が可能であれば、そうしたいと伝えた。
医師は特別何も言わず、了承した。
私たちは医師の同意があったことで、
これがベストな選択だと油断してしまった・・・。
本来なら血圧が高く、管理入院をしていたのであれば、
もっと、分娩方法のメリット・デメリットを説明するべきだと思う。
振り返れば振り返るほど、
自分の愚かさと、医師や病院の対応を疑ってしまった・・・。
後日談となるが、
娘の葬儀が終わり、妻が病院での検査を受けていた時、
医師は妻にとんでもない発言をしたらしい・・・。
医師『お子さんは、元気に育っていますか?』
横にいた看護師が必死にフォローをしたらしいが、
その程度の医師だったと、妻は再認識したようだ。
その話を聞いた私は、やっぱりいつだって傷付くのは女性なんだな、と思った。
もし、その場に私がいたら、きっと怒鳴り散らしていただろう・・・。
そんな医師を信頼し、母子の命と私たちの未来を預けていたことを考えたら、
悔しくて眠れない時があった・・・。
『あの病院を選んだ、私の責任なのだから・・・。』
そんな甘かった自分が嫌で、娘のところに行きたいと考えることもあった。
『あの日に戻りたい、夢なら早く覚めて欲しい・・・。』
と、何度思ったことだろう。
「あの日」帝王切開を選択していれば・・・
「あの日」もっと医師が説明をしてくれたら・・・
「あの日」浮かれていなければ・・・
私には未来の希望はなく、後悔しか残っていなかった。
私は娘の命と未来を奪ってしまったのだから・・・。
きっと、東日本大震災で家族を失った被災者も、
「あの日」のことばかりを考え、後悔してる人がたくさんいると思う。
世の中で起きていることは、全て偶然ではなく、
必然的に起きていると考えるようになった。
「あの日」たった3文字だけど、スゴく重く深い言葉だと思う。
皆さん「あの日」と聞いて、何を思い出しますか?
p.s.
先日、親友宅の引越しを手伝いに行きました。
奥さんの実家にある荷物を少し運ぶと言うので、初めてお邪魔したのですが、
親友はご両親に大変可愛がってもらっているようで安心しました。
荷物を運んでいる途中、お父さんが『こんな人との繋がりが希薄な世の中で、
私たちは本当に仲がいいんですよ。素晴らしい事です!』と言っていました。
例え、結婚して家族が増えたとしても、何もしなければ信頼関係は構築できません。
お互いを思いやり家族を守っていこうという強い気持ちが無ければ、
相性が良くても信頼関係は生まれませんよね。
普段、腰が重い親友だけど、家族に対してはいい意味で腰が軽いらしいですね!
家族想いの良き夫のようです。
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小保方晴子氏の手記「あの日」を読んだ感想ではありません。
小保方晴子氏が手記を出版し、各メディアが一斉に報道を行いました。
その報道を見て、真実は一体どこにあるんだろう?と思いました。
時間が経てば経つほど、人の感情や記憶は薄れ、
真実を明らかにしたいと思った頃には、すでに遅かったりします。
もし真実を追求しようとすれば、言った言わないの水掛論へと発展し、
真実を追求される側が、有利となるケースが多いです。
だからこそ、「鉄は熱いうちに打て」のように、少しでも早く、
追求される側が、言い訳のできない状況に追い込まなければなりません。
報道で、小保方晴子氏の手記「あの日」という言葉を目にした時、
まさに「あの日」を思い出しました。
私にとっての「あの日」とは、
『2011年10月27日です!』
娘が産まれた「あの日」病院からの電話で目が覚めました。
看護師『奥様の容態が変わったので、今すぐ病院に来ていただけますか?』
若干違和感はあったものの、私は妻の陣痛が始まり、
もうすぐ娘が産まれるという意味だと思っていました。
私は急ぎながらも、洗面所で顔に冷水をかけ、
鏡に映った自分に喝を入れました。
しかし、実際に病院へ行くと状況は全く違ったのです。
一瞬、私の頭の中は真っ白になりました。
こんな事態にならない為に、妻は入院をしていたはず・・・。
そして、1分1秒の時間を争うなら、
『さっきの看護師は何故?事情を説明しなかったんだ!』
と、病院の全ての対応に憤りを感じました。
結果として、看護師が電話で本当のことを言ったとしても、
私より後に医師が来たわけですから、手術が早く行われたわけではありません。
いずれにしても、娘の未来は変わらなかったのかも知れない・・・。
だけど、病院の対応に疑問を抱いた瞬間でした。
偶然、私の方が医師より早く病院に到着しましたが、
私の方が遅ければ、手術の同意書にサインをすることが出来ず、
手術が遅れることも予想出来たはず・・・。
私が急いでしまい、万が一、交通事故に遭う可能性を考慮したとしても、
「遭うかも」よりも、今の状況を最優先するべきです。
妻の手術中、色々なことを考えました。
卵巣茎捻転で、この病院に救急搬送で運ばれた時のこと。
あの時の手術は、本当に必要だったのか?
出産予定日が過ぎているにもかかわらず、
分娩監視装置などでチェックをされていなかったのはなぜだ?
もしかして、管理態勢に問題があったのでは?
担当医に分娩方法の確認をされた時も、
何の説明もなく、普通分娩での出産となった。
私は前回の手術で、妻のお腹に傷が付いてしまったことを申し訳なく思っていた。
だから、普通分娩での出産が可能であれば、そうしたかった。
医師と私たち3人で、今後の方針を話し合った時、
そのことは話さなかったが、普通分娩が可能であれば、そうしたいと伝えた。
医師は特別何も言わず、了承した。
私たちは医師の同意があったことで、
これがベストな選択だと油断してしまった・・・。
本来なら血圧が高く、管理入院をしていたのであれば、
もっと、分娩方法のメリット・デメリットを説明するべきだと思う。
振り返れば振り返るほど、
自分の愚かさと、医師や病院の対応を疑ってしまった・・・。
後日談となるが、
娘の葬儀が終わり、妻が病院での検査を受けていた時、
医師は妻にとんでもない発言をしたらしい・・・。
医師『お子さんは、元気に育っていますか?』
横にいた看護師が必死にフォローをしたらしいが、
その程度の医師だったと、妻は再認識したようだ。
その話を聞いた私は、やっぱりいつだって傷付くのは女性なんだな、と思った。
もし、その場に私がいたら、きっと怒鳴り散らしていただろう・・・。
そんな医師を信頼し、母子の命と私たちの未来を預けていたことを考えたら、
悔しくて眠れない時があった・・・。
『あの病院を選んだ、私の責任なのだから・・・。』
そんな甘かった自分が嫌で、娘のところに行きたいと考えることもあった。
『あの日に戻りたい、夢なら早く覚めて欲しい・・・。』
と、何度思ったことだろう。
「あの日」帝王切開を選択していれば・・・
「あの日」もっと医師が説明をしてくれたら・・・
「あの日」浮かれていなければ・・・
私には未来の希望はなく、後悔しか残っていなかった。
私は娘の命と未来を奪ってしまったのだから・・・。
きっと、東日本大震災で家族を失った被災者も、
「あの日」のことばかりを考え、後悔してる人がたくさんいると思う。
世の中で起きていることは、全て偶然ではなく、
必然的に起きていると考えるようになった。
「あの日」たった3文字だけど、スゴく重く深い言葉だと思う。
皆さん「あの日」と聞いて、何を思い出しますか?
p.s.
先日、親友宅の引越しを手伝いに行きました。
奥さんの実家にある荷物を少し運ぶと言うので、初めてお邪魔したのですが、
親友はご両親に大変可愛がってもらっているようで安心しました。
荷物を運んでいる途中、お父さんが『こんな人との繋がりが希薄な世の中で、
私たちは本当に仲がいいんですよ。素晴らしい事です!』と言っていました。
例え、結婚して家族が増えたとしても、何もしなければ信頼関係は構築できません。
お互いを思いやり家族を守っていこうという強い気持ちが無ければ、
相性が良くても信頼関係は生まれませんよね。
普段、腰が重い親友だけど、家族に対してはいい意味で腰が軽いらしいですね!
家族想いの良き夫のようです。
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NICU看護師は赤ちゃんの治療だけではなく、母親や家族の心のケアも! [出産]
先日、ある読者の方からコメントを頂きました。
その方は助産師さんのようです。
とても貴重なご意見、誠にありがとうございます!
お陰様で子どもの死という現実を、
今までとは違った視点で見ることができました。
私がブログを始めた当初は、天使パパのブログを見つけることが出来ず、
天使ママのブログばかりを読んでいました。
そんな日がしばらく続き、あることに気が付きました。
『子どもを失った人たちが、集う場所や情報を共有できる場所が少なすぎる!』
特に天使パパの情報が少なく、
『他の天使パパはどうしているのかな?』
と思う日々が続きました・・・。
その時、自分から探すのではなく、逆に見つけてもらい、
情報を共有できる環境を構築すれば、何か変わるかも知れないと考えました。
現実は天使ママとの交流の方が多いのですが、
夫(男性)である天使パパがどのように考えているのか?
気になる妻(女性)天使ママも多いのではないでしょうか・・・。
そして先日、助産師さんからのコメントを頂いた時、
真っ先に思い浮かんだのは、娘がお世話になったNICU看護師さんです。
当時の私には、気持ちの余裕などはなく、
日に日に弱っていく娘を見守ることしかできませんでした。
妻が娘に母乳を与えていた時も、
『父親って無力だな・・・。』
と思ってしまったくらいです。
私はお腹を痛めることもできず、産まれてきた娘に何もできなかったことが悔しくて、
自問自答する時間を過ごしていました。
だからこそ、娘が亡くなっても当時の気持ちだけは忘れず、
『生きたくても生きられない娘の為にも、胸を張って生きよう。』
と心に決めました。
そう思えるのは、必死で頑張っていた娘や母として支えた妻を見てきたこと、
そして、NICU看護師さんによる心のケアのお陰かも知れません。
毎日、出掛ける時や帰宅後に、仏壇と額縁に入れた娘の手形に、
『行って来ます!ただいま!』
と言っています。
その手形も、私たちが娘と帰る準備をしている合間を縫って、
知らないうちにとってくれていたのです。
紛れもなく、娘がこの世に生きた証しでもあり、
『私たちの宝物です。』
今思えば、ひとりでNICUに行っていた時、
不安で押し潰されそうだった私に対して、娘のことをたくさん話してくれました。
娘の病状だけではなく、私たちがまだ知らない表情などの仕草までも・・・。
重度の新生児仮死で産まれた娘に仕草があったとは思えませんが、
当時の私たちには希望の言葉でした。
まだ体調が悪く、娘に会いに来れない妻にはNICU看護師さんから、
娘の現状報告と心温まる言葉が書かれた手紙を渡されました。
その手紙を読んだ妻の目には、涙が溜まっていました。
NICU看護師の仕事は、治療という役割だけではなく、
母親や家族の精神的なサポートも必要不可欠なのでしょうね。
ただでさえ、自分の意思を伝えられず、
生と死の狭間にいる赤ちゃんのケアもしなければならないのですから、
そこがNICU看護師の難しさでもあり、特徴なのかも知れませんね・・・。
その方は助産師さんのようです。
とても貴重なご意見、誠にありがとうございます!
お陰様で子どもの死という現実を、
今までとは違った視点で見ることができました。
私がブログを始めた当初は、天使パパのブログを見つけることが出来ず、
天使ママのブログばかりを読んでいました。
そんな日がしばらく続き、あることに気が付きました。
『子どもを失った人たちが、集う場所や情報を共有できる場所が少なすぎる!』
特に天使パパの情報が少なく、
『他の天使パパはどうしているのかな?』
と思う日々が続きました・・・。
その時、自分から探すのではなく、逆に見つけてもらい、
情報を共有できる環境を構築すれば、何か変わるかも知れないと考えました。
現実は天使ママとの交流の方が多いのですが、
夫(男性)である天使パパがどのように考えているのか?
気になる妻(女性)天使ママも多いのではないでしょうか・・・。
そして先日、助産師さんからのコメントを頂いた時、
真っ先に思い浮かんだのは、娘がお世話になったNICU看護師さんです。
当時の私には、気持ちの余裕などはなく、
日に日に弱っていく娘を見守ることしかできませんでした。
妻が娘に母乳を与えていた時も、
『父親って無力だな・・・。』
と思ってしまったくらいです。
私はお腹を痛めることもできず、産まれてきた娘に何もできなかったことが悔しくて、
自問自答する時間を過ごしていました。
だからこそ、娘が亡くなっても当時の気持ちだけは忘れず、
『生きたくても生きられない娘の為にも、胸を張って生きよう。』
と心に決めました。
そう思えるのは、必死で頑張っていた娘や母として支えた妻を見てきたこと、
そして、NICU看護師さんによる心のケアのお陰かも知れません。
毎日、出掛ける時や帰宅後に、仏壇と額縁に入れた娘の手形に、
『行って来ます!ただいま!』
と言っています。
その手形も、私たちが娘と帰る準備をしている合間を縫って、
知らないうちにとってくれていたのです。
紛れもなく、娘がこの世に生きた証しでもあり、
『私たちの宝物です。』
今思えば、ひとりでNICUに行っていた時、
不安で押し潰されそうだった私に対して、娘のことをたくさん話してくれました。
娘の病状だけではなく、私たちがまだ知らない表情などの仕草までも・・・。
重度の新生児仮死で産まれた娘に仕草があったとは思えませんが、
当時の私たちには希望の言葉でした。
まだ体調が悪く、娘に会いに来れない妻にはNICU看護師さんから、
娘の現状報告と心温まる言葉が書かれた手紙を渡されました。
その手紙を読んだ妻の目には、涙が溜まっていました。
NICU看護師の仕事は、治療という役割だけではなく、
母親や家族の精神的なサポートも必要不可欠なのでしょうね。
ただでさえ、自分の意思を伝えられず、
生と死の狭間にいる赤ちゃんのケアもしなければならないのですから、
そこがNICU看護師の難しさでもあり、特徴なのかも知れませんね・・・。
娘の容体が急変! [出産]
脳低体温療法へ残された希望!
娘が生まれ、5日が経過した。
医師の診断は、「低酸素性虚血性脳。」
医学的には、まだ証明されていない「脳低体温療法」を始めることにした。
『もう、この治療法しか娘を救える可能性はなかった・・・。』
しかし、医師からは残酷とも言える宣告をされている。
『もし助かったとしても、植物状態の可能性がある。』
それでも、私たち夫婦は娘を助けたいと思っていた。
今思えば、親のエゴなのかも知れない・・・。
脳低体温療法を開始し、脳の障害を最小限に抑えることで、脳の回復を待つことしか望みはなかった。
『そして昨日、その72時間が経過した・・・。』
出産後、初めての母と娘の再会! [出産]
出産後、愛娘との初対面の日!
娘が生まれて、4日目の朝を迎えた。
携帯電話が鳴るたびに、「娘に何かあったのではないか?」と思ってしまい、心が休まるときがない・・・。
4日目にして、妻が出産以来、初めて娘と再会する。
私は娘が生きているうちに、どうしても妻に会わせたかった。
病院から外出の許可が下りたとはいえ、妻の身体は万全ではない。
そんな状態で、妻の外出許可を出すということは、「あまり娘の状況は良くないのではないか?」と疑ってしまう。
でも絶対諦めないし、娘は助かると私たちは信じるしかなかった。
妻を病院まで迎えに行くと、娘に飲ますための母乳が準備されていた。
その母乳をしっかりとカバンに詰め、娘のいる病院へと向かった。
例え娘が飲めなくても、肌や唇に付けるだけで免疫力が向上するらしい。
医学的なことはよく分からないが、何だか奇跡が起きるような気がした。
どんなに離れていても、妻の娘に対する愛情は溢れかえっていた。
昨日までの3日間、担当医や看護師に言われたどんな言葉よりも、妻の存在が私に大きな安心感を与えてくれた。
新生児仮死が、腎臓にまで影響か!? [出産]
さりげない兄たちの想い!
娘が生まれ、入院して早3日目。
もうひとりの兄から連絡があり、今日も送迎をしてくれるというのだ。
どうやら、前日送迎してくれた兄と相談した結果、少しでも私の負担を減らせるように交代で運転手をしてくれるらしい。
兄 『どうせ、まともに寝れてないんだろ?病院までの時間を利用して少しでも寝てろ!』
私は兄たちの優しさに甘えることにした。
病院までの短い移動時間だったが、睡眠時間があるのとないのとでは身体の調子が全然違った。
兄二人とは、改まってこういう話をしたことがないが、温かい家族を築くのが夢だった。
同じような家庭環境だった兄たちも家族への想いが強く、言うまでもなく私の気持ちは分かっていたと思う。
だからこそ、私の結婚を誰よりも祝福し、妻の妊娠を喜んでくれた。
自分の子どものような弟が、幸せになる日を心待ちにしていた。
まさか、娘がこのような形で産まれるとは思っていなかっただろうし、もがき苦しむ私を見て、また兄たちも心を痛めていたと思う。
乳酸濃度が高いのは、尿が出ないのが原因か!? [出産]
愛娘の検査結果は?
医師 『ミトコンドリア病という、難病の可能性があります。』
私は医師の言っている意味が全く理解できなかった!?
むしろ医師に対して、「適当なことばかり言いやがって。」と思ったほど・・・。
私たち夫婦はタバコも吸わないし、お酒だって付き合い程度。
妻は妊娠が発覚してから、ストイックに体調管理をしていた。
それなのになぜ?
つまり、私たちのDNAに問題があったのか?
私たちの人生や健康のために努力してきたことが、全て否定された気分だった・・・。
ミトコンドリア病の可能性があると診断! [出産]
NICUでのルール!
NICUは清潔区域で、赤ちゃんが感染しないよう徹底的に衛星管理された無菌室である。その中には、原則として両親以外の入室はできないことになっており、他の家族が付き添いで来ている場合は、モニター越しで新生児を見ることができる。
NICUに入室するときは、
1.滅菌済みの上履きに履き替え、時計やアクセサリーなどをロッカーへ。
2.予防衣に着替え、キャップとマスクを着用。
3.手指を洗い、消毒をする。
4.NICUに入室。
5.手指を洗い、消毒をする。
この手順を踏み、初めて赤ちゃんのいる部屋への入室を許可される。
担当看護師が赤ちゃんを受け持ち、両親と赤ちゃんを繋ぐ役目をしてくれる。
赤ちゃんの調子が良いときは、声を掛けたり触れることもできる。
重症新生児仮死により予後不良と診断! [出産]
愛娘は重症新生児仮死!
娘のアプガースコアは、2~3点だと医師に宣告された・・・。
つまり娘は、
『重症新生児仮死である・・・。』
重症新生児仮死の場合、脳細胞が酸素不足による障害を受けて、意識障害やけいれん、尿が出なくなるなどの重篤な症状が表れる。
予後に脳性マヒなどの後遺症が残る場合もあり、現状としては極めて厳しい状況だった。
現実を受け止めきれていない私に、容赦なく医師は話を続ける。
『娘さんは、低酸素性虚血性脳症です。』
私は低酸素性虚血性脳症という言葉を人生で初めて聞いたが、漢字を見ても分かる通り、あまり良くない状況だということをすぐに理解した・・・。
未明の救急搬送! [出産]
未明の救急搬送!
娘は、心肺停止の状態で産まれた。
急いで蘇生をしたが、お腹の中でどれくらいの時間が経過していたのか?
担当した医師にも、はっきりしたことは分からないという説明だった・・・。
ただ推測としては、
『10分~15分くらいではないか?』
と医師は再び答えた。
まるで私は崖っぷちに立たされている気分だった・・・。