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能登半島での大地震、津波の被害映像を見て思うこと [雑談]

2024年元旦、能登半島で最大震度7を観測した大地震。

石川県では多くの人が亡くなり、他県でもケガ人が続出した。

気象庁は東日本大震災以来、初めて大津波警報を発表し、石川県の輪島港では1.2メートル以上の津波を観測。一部の沿岸部で住宅被害も出た。





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能登半島での地震の被害状況、そして町を飲み込む津波の映像を見て、東日本大震災を思い出した。

私は東北出身でもなければ、過去に一度も住んだことがない。

だけど、あの東日本大震災があった2011年は自分にとって特別な一年だった。

愛娘の誕生、そして別れ…

天国から地獄へと叩き落とされた年。

2024年、賑やかな新年を迎えるために多くの人々が家族の帰省を喜び、家族との正月休みを楽しみにしていたことだろう。

いついかなる時も、このような震災は起きて欲しくない。とはいえ、東日本大震災があったあの日から、万が一の大地震に備え、非常品をリュックに入れたり、避難場所の確認など心の準備をしていた人も多かったはず。

特に能登半島付近では2020年ごろから地震活動が活発化し、23年5月には最大震度6強の地震が発生、その後も地震が続いていたから尚更だ。

今回の大地震もある程度予想されていたとはいえ、

「なぜ、よりによって元旦なんだよー」

と思った人もいるのではないか?

特に帰省を予定していた人、帰省していた家族が犠牲になり残されてしまった人。

大切な家族を失ってしまったことへの苦しみ、大切な家族を守れなかったことへの後悔、これからの人生、自分の存在価値など考えさせられる時間を過ごしていると思う。

大切な人を失うことは本当に辛く、何年経っても簡単に受け入れられるものではない。

そんな被災地の映像を見て、胸が苦しくなった。そして、それと同時に今の自分に出来ることを考えなければならないと思った。

「よし、準備しよう!」

もし出動要請が来たら、第一陣で行きたいと上司に伝えた。

上司には「まだはっきり分からないから待機してろ!」と言われたが、何とも言えない気持ちになった。

2011年、あの時の自分は何も守れなかった。愛娘の命も何もかも。

そんな自分が嫌で必死に頑張って来た。

何度も心が折れそうな時もあった。

だけど、そんな時は〝あの日〟を思い出す。





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愛娘が天国へ行ったあの日、旅立つ愛娘の棺に手紙を入れた。

自慢の出来るお父さんになること、自分が愛娘のところに行った時に恥じない人生を歩んで行くこと。

自分が生きる理由、それは愛娘との最初で最後の約束を守ること、それが全て。

もちろん危険なのは分かっている。

でも、ここに答えがあるような気がしている。
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