疎遠の息子 [雑談]
皆さんには疎遠の息子、娘さんがいますか?
大事な家族を捨て、自分の欲望のまま異性と消息不明になるような身勝手な人間、または借金を作って姿を消すような人間ではありませんか?
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今から半年くらい前になるでしょうか・・
「久しぶりー!元気ー?」
と友人から連絡がありました。
その友人の話によると・・
「お父さんの友人と名乗る人が、○さんいますか?」と尋ねて来た、との事。
私「何て答えたー?」
友人「もう退職しました!」
父友「どこにいるかわかりますか?」
友人「連絡は取れますが個人情報なので、教えられません。
父友「お父さんの身体の調子が悪いので、連絡が欲しいとお伝えください。」
と連絡先が書かれたメモを置いて行ったらしい。
友人「何か特別な事情がありそうだから、私以外の人には伝えてないから安心して!」
私「ありがとう!さすがだわ!」
と友人にお礼を伝え、今後同じようなことがあっても、〝何も知らない〟と答えて欲しいとお願いをした。
父とは30年近く疎遠で、今思えば〝クズ人間〟
子どもの頃は、他の家庭のことなんて分からないし、自分が置かれている環境こそが普通なんだな…と思っていた。
唯一、母が事故で亡くなっている為、他の一般家庭よりは不自由な面があっても仕方ない・・と子どもながらに考えていたくらい。
例えば、母子家庭なら経済面であり、父子家庭であれば食事面など。
変わらない現実を僻んでも何の意味がないことを知ったのは、その頃かも知れない。
それなら自分で努力して、その現実を変えれば良いじゃないか!と子どもながらに思っていた。
毎日コンビニ弁当を食べていたとはいえ、食べれるだけでも恵まれていた。電気や水道が止められても、雨や雪、風を凌ぐ家があるだけでも感謝した。
その生活で学んだことは、
「水道を止められたらトイレが流せない」
まあ当たり前なんだが、10歳でそれを知ったのだから、笑い話として受け止めて欲しい。
ただ、まさかその数年後に家まで持って行かれるとは夢にまで思っていなかった。
ここまで読んで分かるように、お金にだらしない父親だった。
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ある日学校から帰ると家が差し押さえになり、ドアノブにロックがかかっていた。
状況が全くわからず、どうして良いか分からない、当時は携帯電話もないから父との連絡手段もなかった。
その時、真っ先に思い浮かんだのは〝家なき子〟
パートナーの野良犬を探すか、施設に入れられるのが先か?アホだと思うかも知れないが、真剣に考えた。
なぜなら、
〝実の親でさえ子どもを見捨てる〟
そんな状況で〝赤の他人が助けてくれるはずなんかない〟と思っていたから。
自分で何とかしなきゃ!と思っていた矢先、偶然家に来たのが、義理姉だった。
〝自然と涙がこぼれ落ちた〟
その日から兄夫婦が家族となった。
それから30年近く経ち、「連絡が欲しい」と言われても、〝自分には親がいない〟と思いながら必死に頑張って来た。
本来、親の支えが必要な時期にも親に甘えられない分、自分でどうにかしなきゃ…と気持ちを切り替えメンタルも自分でコントロールしてきたつもりだ。
そうしないと心が折れていた。
いないはずの親が体調不良?頭では理解できるが気持ちが追いつかない・・
色々考えていた矢先、
ピンポーン♪とインターフォンが鳴った・・
大事な家族を捨て、自分の欲望のまま異性と消息不明になるような身勝手な人間、または借金を作って姿を消すような人間ではありませんか?
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今から半年くらい前になるでしょうか・・
「久しぶりー!元気ー?」
と友人から連絡がありました。
その友人の話によると・・
「お父さんの友人と名乗る人が、○さんいますか?」と尋ねて来た、との事。
私「何て答えたー?」
友人「もう退職しました!」
父友「どこにいるかわかりますか?」
友人「連絡は取れますが個人情報なので、教えられません。
父友「お父さんの身体の調子が悪いので、連絡が欲しいとお伝えください。」
と連絡先が書かれたメモを置いて行ったらしい。
友人「何か特別な事情がありそうだから、私以外の人には伝えてないから安心して!」
私「ありがとう!さすがだわ!」
と友人にお礼を伝え、今後同じようなことがあっても、〝何も知らない〟と答えて欲しいとお願いをした。
父とは30年近く疎遠で、今思えば〝クズ人間〟
子どもの頃は、他の家庭のことなんて分からないし、自分が置かれている環境こそが普通なんだな…と思っていた。
唯一、母が事故で亡くなっている為、他の一般家庭よりは不自由な面があっても仕方ない・・と子どもながらに考えていたくらい。
例えば、母子家庭なら経済面であり、父子家庭であれば食事面など。
変わらない現実を僻んでも何の意味がないことを知ったのは、その頃かも知れない。
それなら自分で努力して、その現実を変えれば良いじゃないか!と子どもながらに思っていた。
毎日コンビニ弁当を食べていたとはいえ、食べれるだけでも恵まれていた。電気や水道が止められても、雨や雪、風を凌ぐ家があるだけでも感謝した。
その生活で学んだことは、
「水道を止められたらトイレが流せない」
まあ当たり前なんだが、10歳でそれを知ったのだから、笑い話として受け止めて欲しい。
ただ、まさかその数年後に家まで持って行かれるとは夢にまで思っていなかった。
ここまで読んで分かるように、お金にだらしない父親だった。
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ある日学校から帰ると家が差し押さえになり、ドアノブにロックがかかっていた。
状況が全くわからず、どうして良いか分からない、当時は携帯電話もないから父との連絡手段もなかった。
その時、真っ先に思い浮かんだのは〝家なき子〟
パートナーの野良犬を探すか、施設に入れられるのが先か?アホだと思うかも知れないが、真剣に考えた。
なぜなら、
〝実の親でさえ子どもを見捨てる〟
そんな状況で〝赤の他人が助けてくれるはずなんかない〟と思っていたから。
自分で何とかしなきゃ!と思っていた矢先、偶然家に来たのが、義理姉だった。
〝自然と涙がこぼれ落ちた〟
その日から兄夫婦が家族となった。
それから30年近く経ち、「連絡が欲しい」と言われても、〝自分には親がいない〟と思いながら必死に頑張って来た。
本来、親の支えが必要な時期にも親に甘えられない分、自分でどうにかしなきゃ…と気持ちを切り替えメンタルも自分でコントロールしてきたつもりだ。
そうしないと心が折れていた。
いないはずの親が体調不良?頭では理解できるが気持ちが追いつかない・・
色々考えていた矢先、
ピンポーン♪とインターフォンが鳴った・・
2024-01-13 12:14
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