SSブログ

母の死を受け入れられない幼少期! [幼少期]

母の死!

母の死.jpg




「ドンッ!」と隣部屋の扉が開く音がした・・・。



父と母のケンカが終わり、二人が居間に戻って来ると思った。
安心した私は二人を迎えに行こうと廊下の方へ向う。



次の瞬間・・・
奇声を上げた炎の塊が、私の前を横切って行った。



何が起こったのか全く想像が付かない私・・・
すると、父が隣の部屋から血相を変えて出て来るのが見えた。



父はそのまま私の前を通過し、家の外へ飛び出した炎の塊を追って行った。
私は、その炎の塊に近づいた・・・。



その炎の塊からは・・・





スポンサーリンク













炎の塊の正体とは!?

『あ~~~、熱い!熱い!熱い!』



と悲鳴のような声で叫ぶ、炎の塊。
いえ、その声は紛れもなく母の声・・・。



幼い私には何が起きたのか、全く理解できず呆然としていると、「危ないから離れてろ!」と誰かの叫ぶ声が聞こえてきた。



私の住んでいたアパートの前には、民間の水道会社があった。
その声は、そこの会社の人だったと思う・・・。



『消せっ!消せっ!毛布とかないのかっ!』



と現場で鳴り響く怒号!
慌てた父は毛布を取りに行き、炎に包まれた母にかぶせた。



父をよく見ると、片腕がまる焦げになっていた。
父も自分に点いた火の粉を消すのに、手間取っていたのだろう・・・。



母を包み込む炎は、毛布と大量の水で何とか消えたが、濡れた毛布に包まり低いうめき声を上げていた・・・。



見覚えのある車と旅立ちの日!

間もなく救急車が到着し、母は病院へ搬送された。
救急隊員の手によって、救急車に乗せられる母の姿を少し離れた場所から見ていると、見覚えのある車が視界に入った・・・。



『兄ちゃん!!!』



兄の顔を見た私は、恐怖に震えながら兄に飛びつき泣きじゃくっていた。
今思えば、当時兄も成人を迎えたばかり。
きっと兄だって泣きたいくらい辛かったはずだ・・・。



その後、救急車を追うように兄は病院へと向かったはずだが、後のことはあまり覚えていない。



唯一覚えているのは、ミイラのように包帯をグルグル巻きにされている母の姿。
父の腕も、重度の火傷を負ったことで入院することになった。



私の面倒を見る人がいなかったので、今でも仲のいい親友宅に行く予定だったが、どういう訳か急遽、200km以上離れた名寄市に行くことなった。



今となっては、母の友人だったのか?遠い親戚だったのかは分からない。



名寄市への出発当日、入院中の母のもとへ行った。
母は私に対して、終始誤っていたが、私は包帯でグルグル巻きにされている母が怖くて側に行けなかった。



まだ幼かったこともあり、いつも当たり前のように一緒にいた母が亡くなるとは思ってもいなかった。



また少しすれば、父と母の三人で暮らせると私は思っていた。
しかし、この時が私と母の最期の対面であり、私に言った母の「ごめんね!」が最後の言葉だった・・・。



『私が名寄市に旅立った一ヶ月後、母はこの世を去った。』



母の死の真相!

母の死は事故と警察に処理された。
事故の原因は、母が父を脅すために灯油をかぶったことから始まった。



言いたいことを言い合った父と母は、いつものように和解をしたが、唯一いつもと違ったことがあった。



そう・・・。
母は灯油をかぶっている。



少し考えれば分かることだが、仲直りの一服にタバコを吸おうとしたのが事故の原因となった。



言うまでもなく火はタバコのみならず、灯油が染みついた衣服にも引火した。



当時、私は8歳で小学2年生。
母が亡くなり、そのまま地元に帰れると思っていたが、実際帰って来たのは母の死から1年経ってからだった。



母の身辺整理などで慌ただしかったのか?
それとも、私の精神的な面を考えて少し時間を空けたのかは分からない。



でも、地元に帰って来てからの父との生活は地獄のような日々だった。
その話は、また別の機会に!






スポンサーリンク













nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。