子どもの死後、心の底から楽しいと思う感情が沸かない時が・・・。 [悩み]
娘を失ったばかりの時、心の底から楽しいと思った事はなかった・・・。
思い描いていた現実とは違い過ぎて、イライラしたり悲しくなったり、
精神的に不安定だった時期があったと思う。
うつ病じゃないかと思って、診断テストをした事もあった・・・。
3年半が経った今でこそ、笑ったり楽しそうにしているけど、
ひとりになった時、一気に疲れが襲う瞬間がある・・・。
つまり・・・、
『まだ心から笑えていない時があるという事!』
きっと、子どもの死を経験した事のある人にしか分からないと思うけど、
何年経っても子どもの死は辛い・・・。
でも、周りの目はきっと違う。
亡くなった子どもの歳を数えるな、とか
だいぶ元気になったね、とか
励ましの言葉や心配をしている気持ちは分かっているけど、
『私はいつも笑っているふりをしている・・・。』
他にも友人に恋人ができたとか、結婚する事になったとか、
おめでとう!と思ってはいるけど、自分の立っている場所と違い過ぎて、
本当に申し訳ないけど、心がその場にない事もある・・・。
爽やかな恋愛話は気持ち良く聞けるけど、ドロドロした恋愛話や武勇伝的な話、
自分がモテると思っている人を見ると一歩引いてしまう・・・。
でも、絶対顔に出ていると思うから必要以上に聞いたり、
話に食いついて悟られないように必死な自分がいる・・・。
付合いの浅い人から見れば、
『ノリも良くて付き合いやすい人だな~!』
と思ってくれているかも知れないけど、本当の自分はそうじゃない・・・。
たまにどの自分が本当の自分なのか?分からなくなる時がある。
だから、中途半端に付合いが長い人よりは、
日が浅い人との方が話をしても楽だと感じる事が多い。
子どもの死後から時間が経つにつれて、徐々に怒りや悲しい感情が沸かなくなった。
何の感情も無くなり、ただただ同じ時間を過ごしている事もあった・・・。
ちょっと前までは赤ちゃんや小さい子どもを見るのは辛かったけど、
今は微笑ましくニヤニヤ見てしまう自分がいる。
唯一、心の底から素直な気持ちになれる瞬間かも知れない。
だって、赤ちゃんや子どもには駆引きなど必要ないですから・・・。
今私が天使パパや天使ママと自然な気持ちで交流する事ができるのも、
そんな子どもへの想いを共有する事ができるからなのでしょうね!
思い描いていた現実とは違い過ぎて、イライラしたり悲しくなったり、
精神的に不安定だった時期があったと思う。
うつ病じゃないかと思って、診断テストをした事もあった・・・。
3年半が経った今でこそ、笑ったり楽しそうにしているけど、
ひとりになった時、一気に疲れが襲う瞬間がある・・・。
つまり・・・、
『まだ心から笑えていない時があるという事!』
きっと、子どもの死を経験した事のある人にしか分からないと思うけど、
何年経っても子どもの死は辛い・・・。
でも、周りの目はきっと違う。
亡くなった子どもの歳を数えるな、とか
だいぶ元気になったね、とか
励ましの言葉や心配をしている気持ちは分かっているけど、
『私はいつも笑っているふりをしている・・・。』
他にも友人に恋人ができたとか、結婚する事になったとか、
おめでとう!と思ってはいるけど、自分の立っている場所と違い過ぎて、
本当に申し訳ないけど、心がその場にない事もある・・・。
爽やかな恋愛話は気持ち良く聞けるけど、ドロドロした恋愛話や武勇伝的な話、
自分がモテると思っている人を見ると一歩引いてしまう・・・。
でも、絶対顔に出ていると思うから必要以上に聞いたり、
話に食いついて悟られないように必死な自分がいる・・・。
付合いの浅い人から見れば、
『ノリも良くて付き合いやすい人だな~!』
と思ってくれているかも知れないけど、本当の自分はそうじゃない・・・。
たまにどの自分が本当の自分なのか?分からなくなる時がある。
だから、中途半端に付合いが長い人よりは、
日が浅い人との方が話をしても楽だと感じる事が多い。
子どもの死後から時間が経つにつれて、徐々に怒りや悲しい感情が沸かなくなった。
何の感情も無くなり、ただただ同じ時間を過ごしている事もあった・・・。
ちょっと前までは赤ちゃんや小さい子どもを見るのは辛かったけど、
今は微笑ましくニヤニヤ見てしまう自分がいる。
唯一、心の底から素直な気持ちになれる瞬間かも知れない。
だって、赤ちゃんや子どもには駆引きなど必要ないですから・・・。
今私が天使パパや天使ママと自然な気持ちで交流する事ができるのも、
そんな子どもへの想いを共有する事ができるからなのでしょうね!
2015-05-26 01:58
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