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地獄のような父との生活がスタート! [幼少期]

名寄市での生活!

名寄での生活.jpg




私が故郷に帰って来たのは、母の死から一年後のことだった。
名寄市での生活に慣れ、友達にも恵まれた。




母の友人宅での生活にも、違和感を感じなくなっていた。
もしかしたら、故郷にいたときよりも楽しかったのかも知れない・・・。



だけど、身近の大人や友人たちに「早く故郷に帰りたい?」と聞かれたら、即答で早く帰りたいと答えた。



でも心のどこかで、「ここでの生活も悪くないかも!」と思う自分も存在した。






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その理由は?

男女問わず仲の良い友人が多かったことや、故郷に帰ると嫌でも母の死と向き合わなければならない・・・。



母は実家に帰っても、もういないという現実を受入れたくなかった。
名寄市での生活は、決して裕福な生活とは言えなかったが、夢の世界にいるような気持ちだった。



だから、故郷に帰ることが決まったときは、名寄市に来たときと同じくらい寂しかったのを憶えている。



故郷での生活!

故郷に帰って来たのは、9歳(小学3年生)の夏休み中だった。
当時住んでいたアパートは引払い、私との新生活に向けて、父はモデルルームを購入していた。



ただ以前と住んでいた場所から離れていた為、二学期から通う学校は違った。
地元とはいえ、見知らぬ土地での生活に少し戸惑いはあったが、実父と暮らせることや故郷に帰って来れたことが何よりも嬉しかった。



まだ帰って来たばかりで友人がいない私は、家でファミコンをするか近所を探索すること以外、やることがなかった。



でも冒険家になったみたいで、それはそれで楽しかった。
天気の良い日は、芝生でゴロゴロしたり植えてあった桜と桃の木を見ながら、お弁当を食べたこともあった。



今思えば、時期的に考えても桜と桃の花は咲いておらず、本当に木を眺めていただけだった。



『現在、その木たちはどうなっているのだろう?』



当時の親友との出会い!

ある日、私はいつもの冒険に出掛けた。
すると、同じくらいの歳の男の子と出会った。



今では全く交流はないが、当時は何をするにも一緒だった。
しかし、その男の子は近所でも有名な悪ガキで、大人たちから煙たがられていた。(何でなのか?はよく分からない。)



何も知らない私は、その男の子と新学期が始まるまで毎日遊んだ。
気が付いたときには、その男の子は親友となっていた。
言うまでもなく、そんな親友と一緒にいた私も悪ガキ扱いされていた。



続く・・・






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